夏だ、夏だ、と浮き足立っていたのもつかの間に、「冷夏らしいよ」「酷暑だって」「例年並みって聞いたけど」などと錯綜していた情報のどれが正しかったのか、路上で倒れそうになるほどではないけれど、とりあえず夏というものは(少なからず東京の夏というものは)うんざりするほど暑いもので、鏡に写った頼りない二の腕をよく見てみると、ちょうど真ん中のところで薄茶色と黄色の二層にわかれているのがわかる。それも右腕だけだから、みすぼらしいうえ、きたならしい。それもそのはず、自室にある革張りのソファは東を向き、窓は南に開け放たれている。つまりわたしはなにかしらよりどころを求めるような形でクッションに全体重をあずけ、自分で思っているよりずっと長いことセミの鳴き声を聞いていたらしいのだ。本当のことを言えば人の声をもう何回かだけ聞きたかった。いや、それもずいぶんと聞いただろう。スピーカーからは常に誰かの声が流れていた。ただその人の話し方を知らないだけだった。その人の姿勢を知らないだけだった。その人がわたしの存在を知らないだけだった。たとえば "Does it make a difference if it's real as long as I still say I love you" とその人の歌う "I" も "you" もわたしではないことは確かだった。

なにに定義されることもない存在を確認するように指を噛む。苛立ちかもしれない。あるときはあまりにも無慈悲な呟きに対するものだった。ほとんど怒りといってもいい。そして柄にもなくいささか早口で反論しているときに込み上げてきた涙こそが真実だった。ただわたしはあんなことを言って欲しくなかっただけなんだ。そう伝えたかった。声にはならなかった。声にならないから伝わらなかった。いつだってそうだ。文字にすることができても口にすることはできなかった。そうやって何度も失敗した過去を思い出したり、失敗するかもしれない未来を予測したりして、ふと、どこかへ消えてしまいたいと願いながらこの時期に考えるのはやはり従兄のことで、彼は数年前からすっかり行方知らずなのだけれど、三十年ほど前の夏に生まれた彼がこの夏どこかで生きているのか死んでいるのかはわからず、もはやどちらでも変わりはない、つまりは生死に縛られることのない無限の幻影となっているのだからうらやましい。うらやましいとは思いながらも、思うだけで、すべてを捨ててひとり生き延びる勇気も気力も体力もわたしには毛頭ない。ときどきあなたたちの声が聞きたいと思う。もっとあなたに笑って欲しいと思う。そこにいてくれるだけでいい。とても普通だ。とても普通に普通が難しいから普通に悲しくて、普通が普通にならないとき、どうしようもなく、そこはかとなく、消えてしまいたい、と笑うわたしは絶対的に美しいけれど、それは誰かを喜ばせる類のものではなく、怒りが悲しみに帰するように、この美しさもまた自分自身に帰するものだから、あまり役には立たなくて、まったくもって意味がない。無力なのだ。

それでも機能しつづける体が右側から少しずつ膿み、ただれ、腐っていくのもつかの間に、もう、夏が終わる。水晶のように眩しい夏ではあった。