十五、六のとき、二十かそこらで死ぬものだと疑わなかったはずなのに、気づけばその機会を見事に逃し早数年、なにかを失う機会を必要以上に得たのち、またそれの繰り返されるかもしれない未来をおそれながら、それでも無様に鼻血やよだれや反吐を垂れ流しているから、あのころ、あのとき、電車内で携帯電話に打ち込んだ「殺してよ」の文字を目にした女性の歪んだ表情が正しかったことを知る、この頭はやっぱりちょっとおかしくて、自分が救いようのないばかだとわかる、あまりに人間くさく、ひどく天使的だと納得する。

「美しい」なんて言われたことなどないかもしれない。ただ、容姿についてでないのは確かだけれど、「天使だ」と形容されたことは何度かあって、人の肯定的な言葉を鵜呑みにするわたしはまったく簡単に信じ込んだ。だから地上で上手く歩けないらしい。だから何度も青空に向かって飛びたくなったのだろう。それなのに飽きもせず二本の脚で立ちつづけ、もう二度とこの胸を焦がしてくれるものには出会わないだろうと思ったころに、それはふと現れたりして、まだここで遊んでいてもいいかしらと思わせつつも、やっぱりわたしを静かに踏みしだくから、かなしくて、さみしくて、なによりそういう感情を抱かざるを得ない生き方をしてきたのだから仕方がないと妥協すること自体がかなしく、さみしい、そういう事態、なんせ声を上げてわめく勇気がもうないわり、やはり無力に涙する。傲慢なのだ。いまだ心のどこかでは自らの存在意義を信じている。愚かなのだ。

知っていた。わかっていた。納得していた。まったくどいつもこいつも天使などとそそのかしやがって、本当はみんな悪が好き。わたしも人の悪が好き。本当の天使に眠る悪が好き。だからいいよ。行かないで。消えないで。地団駄でも踏みながら笑っていて。天国だろうが地獄だろうがどこだって楽園は築けるよ。それからそこで「殺してよ」って笑ったりして?

強打。尊さ。見つめたように愛を焼くほど、疎ましく。